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韓国語に近づけたきっかけ2 | |
発行日時:2013年10月29日 | マガジンNo.07416 |
前回の続き 「その昔、博多の商人と釜山の商人は通訳が不要だった」 その話しを聞いた時、思い出した話しがありました。 司馬遼太郎の小説なのですが、関ヶ原の戦い前後の話です。 九州の南部から上京した島津家の人々、徳川方も、石田方も執拗に島津家を勧誘します。 結果として島津家は西軍、つまり石田方につきます。 そして、有名な話しですが合戦中ぴくりとも動きませんでした。 理由は何か?象徴的な台詞が出てきます。 「なにいいよっかわからん」 鹿児島の方々と上方の方々は言葉がちがったのです。 つまり、話しが伝わってなかったと。 現在私たちが使う「日本語」これは無理矢理「標準語」という言葉を作って それを「国語」という形や、テレビや雑誌、絵本などで強制的に学ばされているに過ぎません。 元々キタから南まで、みーんな言葉が違うのです。それらの共通語として「日本語」があるのです。 話しを戻すと 昔の博多の人たちは今の日本語を話していなかったんだと思います。 そして同じ様な事が朝鮮でもあった筈。 ちょっと図にすれば ABCDEFGHIJK Aを現代日本語Kを現代韓国語とします。 AとKはかけ離れているのでお互いに通じません。 恐らく、昔の博多の商人はD辺りの言葉を使っていて、徐々に現代にいたる間にAに近づいてきたのだと思います。 釜山の人たちは恐らくF辺り(多分済州島の人々はEだったのかもしれません。現在でも済州島方言は日本で言う沖縄方言の様な扱いで、テレビでは字幕が出ます) つまり博多の人はD釜山はFとても近い言葉を使っていたのだと。 そこで冒頭に戻ります。 韓国語って本当に宇宙語で絶対に聞き取れないと思ってました。 でも、この話しを聞いた時 「そうかぁ、全くかけ離れた言葉じゃない、少しずつ変化しただけなんだと」と思った瞬間 韓国語が分かる様な気がしました。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 探し物がきっと見つかる。 楽天市場のデーターベース:ベルマ通販 http://beruma.info/ |